高槻・吹田市に5店舗を展開している美容室 HAIR TIME|ヘアータイム「高槻の街をオシャレな人でいっぱいに」

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Staff Column
スタッフコラム vol.1

credo店 スタイリスト / グラムール美容専門学校卒

池田 茉莉子の場合

「高槻で人生のだいたいを過ごしてきた」
そんな風に言って笑う高槻市出身の池田茉莉子は、
この街で美容師になり、妻になり、母になった。

池田 茉莉子

 “美容師さん”に初めて髪を切ってもらったのは、中学1年生の時。同じテニススクールに通う友達に「美容室に一緒に行かへん?」と誘われたことがキッカケだ。

 眼鏡にショートカットがトレードマークのテニスが大好きな女の子。髪を切りに行くのは近所の理髪店と決まっていたし、ブランドと聞いて思い浮かぶのは、アディダスにフィラ、プーマだった。髪型も服装も動きやすいのが一番!“オシャレ”は自分に関係のないこと。美容室なんて異世界だ…!そんな池田を誘ってくれた友達もまた、美容室に行くのは初めての経験だった。ひとりでは勇気が出ない、でも二人でだったら、異世界へも飛び込める!彼女もそんな風に考えたのかもしれない。

かくして、テニスが大好きな女の子二人は、異世界への扉を開くこととなる。初めての美容室の照明は、とても明るく感じられた。その明かりの下でくるくると動き回る美容師さんたちは、テレビで見るような格好をしている。家具も壁も人も、全てが輝いて見えた。ふわふわと夢見心地の池田に、美容師のお姉さんが優しく話しかけてくれる。髪質に合ったスタイルは…スタイリングは…それは、“かわいくなるためのアドバイス”だった。

池田 茉莉子 池田 茉莉子

 異世界に行って、ショートへアからショートへアになった池田と、ミディアムへアからミディアムへアになった友達。 髪の長さはほとんど変わっていない。しかし、確実に何かが違っていた。何より変化したのは、内面だったのかもしれない。“かわいくなるためのアドバイス”をしてもらったことの喜び。オシャレを楽しむことは、こんなにもわくわくすることだった。

 それから、すんなりと美容専門学校へ進むことを決めて美容師へ…なったわけではない。美容師になりたいという気持ちが沸き上がってきたのは高校3年生の進路調査が始まる頃だったし、大学に進学することを当然としていた両親からは、猛烈な反対にあった。それでも、あの輝く世界を作る側の人になりたかった。自分の決めたことを曲げたくない。その一心で貫き通し、「いつ大学に行ってもいい」と父親に言われながら、美容専門学校へ入学した。その言葉とは裏腹に「自分が選んだのだからやりきれ」という叱咤激励も感じていた。弱音を吐くわけにはいかない、この時からそう決めていた。

施術の様子

 就職先も夢中になって探した。心斎橋、梅田、夜行バスに乗って東京へも行った。いろいろな美容室を見学したが、そのどこでも、“お客様をカットする自分の姿”をイメージすることが出来なかった。もっとあったかい雰囲気のところがあればいいのに… その時ふと、地元にある『ヘアータイム』が頭に浮かんだ。それは正に“灯台下暗し”。美容専門学校のカリキュラムにあった3日間の職場体験のアポを自ら取り付け、店舗に立ち、サロンワークの手伝いをした。指示をくれたアシスタントリーダーは、ストイックに働く姿が印象的な人だった。あぁ私もここで働いたらあんな感じになれるんかな。自然に、未来の自分のことを思った。

 ここ、めっちゃいい!
 一番いい!!ここで働きたい!!

 両親の反対を押し切ったあの時も、職場体験の3日間も、入社してからスタイリストデビューするまでの4年間も、しんどかったことは山ほどあったはずだと思う。しかし、あまり覚えていないのだ。一生懸命やりきることがとにかく楽しかった。手が痒くなったこともあったし、新しい技術を身に付けるのに時間がかかったこともあった。でも、それを“苦労”だとは思っていない。

 ただ、なりたいものになりたかった。

 3年間通った高校は、学区で一番標高の高い場所にあった。自転車で、自宅のある場所をくだり、もう一度登る。最後の急な坂道は、登るだけで10分かかる。1限目から汗だくになって授業を受けた。でも、学校には友達がいたし、何より窓からは美しいこの街の景色が見渡せた。昔から変わらない。いつだって坂道の上の自分を想像してきた。

家族イメージ

今、美容師として、妻として、1才の女の子の母として、ここで働いている。勤務時間は9時~17時半。日曜、月曜、祝日はお休み。 会社と、まわりのスタッフと、お客様の応援で実現できたことだ。美容師としてやりたいことは、まだまだ尽きない。昔はオシャレでかっこいい美容師になりたいと思っていた。
でも今は、お客様の生活に寄り添える美容師になりたいと思っている。小さな子どもを持つお客様にとって、誰にも邪魔されず美容室でリラックスして過ごすひとときが、どれだけ大切なものか、ラフなスタイリングでまとまるスタイルが、どれだけ重宝されるか、身を持って知っている自分だからこそ、出来ることがある、応えられる技術がある、そう、確信している。

 美容師への道を反対していた母親も、今は池田の大切なお客様になった。兄も夫も。30年以上、七三スタイルを貫く父親の髪をカットしたことはないが、美容師として活躍する池田を見守ってくれていることは知っている。あの時があったから、今がある。やっぱり“苦労”はしていないな、と思う。

施術風景

大人になった池田は毎朝、自転車ではなく原付バイクに乗ってこの街の景色を走っていく。
長女を保育園へ送り、働く店舗をめざす。坂道の上の自分を想いながら。



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